おどる童話『THE GIANT PEACH』

スズキ拓朗さん

45 INTERVIEW

昨年夏の第一弾『まほうのゆび』で大人と子ども、両方大いに盛り上げたスズキ拓朗構成・振付・演出の"おどる童話"シリーズ。今夏もさらにパワーアップして劇場に帰ってきます。原作者は前回と同じロアルド・ダールで、96年には映画化もされた『THE GIANT PEACH』が次なる題材。原作者の大ファンを自認する拓朗さんのハリキリぶりは今からメーターを振り切る勢いで、取材当日も全身モモ色=ピンクのコーディネートで登場。10代にまでさかのぼる作品との出会い、スケールの大きなドラマを舞台化するためのアイデアの源など、創作の"種のタネ"について聞いてみました。

INTERVIEW

――『THE GIANT PEACH』の舞台化は、スズキさんの強い希望により決まったとか。

スズキ はい、今作の映画を中学生の頃「これ拓朗は好きだと思うよ」と母に勧められて観て以来、大好きな作品だったんです。考えてみると、コンドルズのDVDを上京時に持たせてくれたのも母。後から聞いたんですが、大学時代は演劇をやっていたそうで、血は争えないなぁと思いました。

――イイお話ですね。

スズキ と、思いますよね? ところが母は、去年『まほうのゆび』も観に来ていたのに、まだ情報公開前だけれど喜んでもらおうと、今回の公演が決まったことをこっそり伝えると「え、それどんな作品だっけ?」と、内容はもちろん、僕に勧めたことも全く覚えていなかったんです!(苦笑)。なので今回、皆さんに楽しんでいただくことはもちろんですが、観た母が経緯を思い出せるくらい面白い舞台にするのが目標なんです!!

――……是非頑張って下さい。また今回は、前作以上に飛躍の大きな世界観で、両親を亡くして叔母二人に引き取られたものの虐待されている少年が、巨大な桃に乗って虫たちと一緒にニューヨークまで空の旅をするという、ロードムービーのような構造になっています。

スズキ そうなんです。これは、自分としては初めてに近い取り組み。今春、太宰治の小説を題材に時間や場所が次々に変わっていく、場面数が多い舞台を作ったんですが、結構色々チャレンジした感覚がありまして。どちらかと言えば動かず、その場から飛躍していくほうが得意だという自覚もあるのですが、それを超えて、「虫」を描けることがものすごく楽しみなんです。人間より、圧倒的に表現対象として興味がありますから。

――確かに『まほうのゆび』でも、鴨の家族のシーンは非常に活き活きとエネルギッシュでした。

スズキ “カモ!、カモ!”と叫びながら踊る場面だけで、5分近くありましたし(笑)。今回、どの虫を誰が演じるかなど大人チームのキャスティングはほぼ決まっているほど、熱が入っています。正直、Pixarが『バグズ・ライフ』(98年。アリの島アント・アイランドを舞台に、擬人化した虫たちの日常や騒動を描く)を公開した時、「あぁもうヤダ! 先を越された!!」と悔しくてキレそうになりました。アレをやられちゃったら、しばらく手出しできないじゃないですか(笑)。まぁ、そろそろいいか、と思っての今回なんですが。

――また、この虫たちがひどく特徴的で。ムカデ、クモ、ミミズ、カイコ、テントウムシ、土ボタル、キリギリスという脚が多過ぎたり無かったり、名前だけでは姿が想像できないようなものもいます。

スズキ 特徴的だからこそ、キャスティングが楽しいんじゃないですか! 僕が演じる虫、その特徴をどう演出するかも、もう決まっていますから。もともとビジュアルや特技、職能が特徴的なパフォーマーさんが大好きなので、周りにもそういう方が多い。近藤良平さんは“自分が好きにできる動物園が欲しい”と、身体的特徴がはっきりした人を集めてコンドルズを立ち上げたそうですが、僕がCHAiroiPLINをつくったのもほぼ同じ理由です(笑)。

――(笑)ビジュアル濃い目の方が多いです、本当に。

スズキ ただ、舞台で虫を造形するのはOKなんですが、現実では虫全般苦手で。子ども時代を過ごした土地が自然いっぱいで、近くの山にはボブスレーのコースもあって。滑っている間じゅう顔にビシビシ、イナゴがぶつかってくる。あれがトラウマになっているんです。腹いせに佃煮はバンバン食べましたけど、手で触れません、いまだに虫は。
 濃い目のところに、さらに色を重ねていくのが演出家としての僕の楽しみどころ。引き算の、 そぎ落とした演出とか無理ですから。

――虫たちは、姿だけでなく言動も極端です。叔母二人が吐く罵詈雑言、ムカデの意地悪と差別 など、かなり強烈です。

スズキ 同時に主人公ジェームズやミミズなど、その被害に遭う側のことも嘘なくリアルに書いているのがロアルド・ダール作品のすごいところ。児童文学と言われつつ、人間の残酷さや人生の無情さをちゃんと描くし、逆に加害側の弱さや歪みをユーモアや笑いにして作中に織り込む。だって、一人はガリガリ、もう一人はデブデブという叔母二人の設定とか、挿絵で見ただけでもかなり気の毒なんですよ。なのに自分たちは美しいと、自分でだけ信じているというヤバさ。他人の悪口を言っても「まぁ仕方ない」と思えるじゃないですか。弱点はお互い様というか。一番ヒドイのは作家ですよ、絶対(笑)。
 で、そういう残酷さがまた子どもたちは大好きでしょう? 僕も覚えがありますが、ゴッコ遊びでもすぐ殺したり死んだりを真似たりするし、他人の身体的特徴を弱点でも平気で挙げつらってからかいますよね。そんな「毒」が子どもたちとダールの間で、呼応するのかも知れません。もちろん僕とも。

――確かに。

スズキ 僕の表現はどちらかと言うとポップなので、「毒」と相性がいいんじゃないでしょうか。同じダールの作品で 「へそまがり昔ばなし」 という本もあるんですが、これは例えば「ジャックと豆の木」を「ぐんぐんのびた豆の木を登っていったジャックは、雲の上で巨人に食べられてしまいました、チャンチャン」みたいな昔話にバッドエンドをつけるという趣向のもの。こういうことは僕、いつも創作過程で考えて、劇中に取り込む発想なんです。この辺り、僕がダールをライバル視している部分であり、話したら結構気が合うんじゃないかなと思っている所縁です。だから、ご本人にも是非観ていただきたいんです(笑)。

――移動が多い設定ですが、舞台美術などは現時点でどのようにイメージしているのでしょうか。

スズキ “基本はいつも抽象舞台”という変わらない方針が僕にはあって。今回もそこは変わらず、あまりセットらしいものを建てるつもりはありません。ただ、作品の中心に大きく「桃」が存在するので、 それをどう見せるかがポイントかな、と。「桃」役が一杯出てくるとか。あと、原作にある暗闇を照らす土ボタルの描写などは照明とリンクしても面白くなるかも。色々な照明器具を持ってもらうとか。
 その点は『まほうのゆび』と同じで、セットよりも衣裳にこだわることになりそうです。それを着たパフォーマーが作品世界の一部であり、時に風景的な役割も果たす。今は、そんなことを考えていま す。

――先の、俳優たちのフォルムの話にも重なりますね。

スズキ ええ、特に「桃」なんて“丸くてピンクでおシリみたい”という、それだけで子どもたちの大好物じゃないですか。子どもはみんな、丸くて赤みを帯びたものが好き。『アンパンマン』だって同じですよ。「食べかけられた頭はどこ行った?」みたいな、シレッとコワいところもあるし(笑)。
 『THE GIANT PEACH』の物語は、ジェームズの両親がサイに食われて命を落とすところから始まるんですが、これもスゴいエピソード。でもここから「サイのサイナン」みたいな言葉遊びが色々できるなと僕は思う。全員がサイとなって突進してくるダンスもありですよね。「サイ、サイ、サイコー!」とか言いながら(笑)。こんな他愛もないことを積み重ねながら、創っていくんです、いつも。

――スズキさんの創作の秘密を垣間見た気がします。以前のインタビューで「演出中は脳の左か右か、どちらか決めて集中的にしか使えない」という主旨のお話をしていらっしゃいましたが、今の忙しさでもその切り替え方で創作は間に合うものでしょうか。

スズキ 僕の場合このやり方しかできないので、どこへ行っても、どんな状況でもスタイル・スタンスともに変わりません。必要な時に「考える脳」から「動き脳」へと何となく変わっている。コンドルズにいる時なんかひどいもので、「僕は痩せたダンサーだ」という自覚分くらいしか働いていませんから、僕の脳(笑)。
 『THE GIANT PEACH』のように内容も風景も、あちこち行ってしまうような作品は、その全部をフォローしようとすると立ち行かなくなる。極端な考え方にできるもの・楽しめるものだけ、もしくは台本を読んで分からないところだけを抽出してみる、というアプローチを僕はよくするんですが、それがつまりは、脳の切り替えにリンクしているのではないか、と。そう考えると今回の創作は、「サイと桃と虫、で、ダンスだよ」くらいに要約できてしまう(笑)。

――すごい思考の展開です。

スズキ 最近改めて出会った、井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく~」から始まる一連の言葉に強いシンパシーを感じたんですが、僕らの仕事は難しいことを難しいままやってはダメ。難しいことを易しく、面白くして初めて価値が見えて来る。そう考えていくと、「実は僕、使っている脳はいつも同じじゃない?」という気もして来るんですよ。そもそも人はまだ、自からの脳のまだ数パーセントしか使えていないらしい。シンプルにつき合ったほうが、深いところへ辿り着く可能性もあるんじゃないでしょうか。
 Eテレの子ども番組を見ていると、それに近い感覚に出会うことがあって。意味や理屈から解放された強引なセンスで作られている感じがすごくする。自由で気持ちいいんです、あの極端な単純化が。物事はシンプルに追求するほど本質に近づくと思いますし。

――ほとんど哲学のような思考ですね。

スズキ とか言いつつ、稽古場では演出モードでしかいられない時間がかなり長くて、相手役や代役のメンバーに迷惑をかけっぱなしなので、エラそうなことを言う資格ゼロなんです、実際は。代役からいっぱいアイデアももらってますし(苦笑)。

――物語や言葉を越えて、身体でコミュニケーションを取ることができる、ダンスならではの強みが生きる創作現場なのでしょう。お話を伺うだけでも、その場にいる全員の脳が、活性化していくようで、きっと観客も同じ体験ができるのではないでしょうか。

スズキ 最近、稽古場で流行っているのが“机を置かない”ことで。

――全員が、ですか?

スズキ いやいや僕だけ。演出助手さんが僕の後ろにいてメモを取ってくれていて、僕は台本も開かず敢えて安定しない、不安定な状態に身を置いている。でもその分、目前のことやまだ見えていない先のシーンにまで、思考を広げられる。お陰でどの台本もきれいなまま、家の本棚に並べてあるので、ちょっとしたコレクションみたいですよ(笑)。

――ダールのブラック・ファンタジーとスズキ流思考法、そのさらなる深化が一段と楽しみになりました。

スズキ 是非、ご期待下さい。実はGWの終わりに、出演してもらう子どもたちのオーディション&ワークショップもやっていて。昨年以上に自由で個性的な子がズラリ。僕のほうが振り回されている状態になるほどだったんです。このシリーズは、そんな子どもたちのパワーをもらって初めて出来上がるもの。 僕も、子どもたちとの新たな出会いを楽しみにしています。

取材・文:尾上そら 写真:井上 亮 

スズキ拓朗
振付家・演出家・ダンサー。1985年生。ダンスカンパニーCHAiroiPLIN主宰。2011年よりダンスカンパニーコンドルズ参加。横浜Dance CollectionEX奨励賞、第46回舞踊批評家協会新人賞。若手演出家コンクール最優秀賞、第3回世田谷区芸術アワード飛翔受賞、他受賞歴多数。平成27年度東アジア文化交流使。
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