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文学座による『尺には尺を』『お気に召すまま』の連続上演で始まった「あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014」。季節とともにヒートアップするラインナップに、日本の演劇シーンを牽引する京都の二団体が参戦します。8月初旬に杉原邦生率いるプロデュース・カンパニー「KUNIO」が、同月末には海外でも評価を得ている三浦基の「地点」が、それぞれ『ハムレット』と『コリオレイナス』を上演。続く10月に『ロミオとジュリエット』でシェイクスピア戯曲を初演出する「ロロ」三浦直之が、再び、先輩演劇人と劇聖について語り合います。
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――演劇的なキャリアは違いますし、地点の『コリオレイナス』は2012年初演で今回は再演ですが、実はお三方とも、フェスティバル参加作品がそれぞれ初めて手掛けられたシェイクスピア戯曲なのですよね。 三浦直之(以下、三浦直):そうなんですね。前回、この誌面で文学座の鵜山仁さん、高瀬久男さんと鼎談させていただいたんですが、お二人はシェイクスピアを何度も手掛けたベテランの方だったので、ひたすら教えを請う感じでお話しをうかがうばかりだったんです。あの後も、ずっと「どうしよう……」という悩みは続いていますが(苦笑)。 杉原:悩んでる感、伝わってくる(笑)。基さんは地点で色々な海外の戯曲を扱っているなかで、シェイクスピアは後回しになっていた劇作家ですよね? 三浦基:僕の中では近代の戯曲、チェーホフなどを中心に、150年前後時代を遡った作品群を現代に蘇らせるというのが創作の射程距離だったんですよ。シェイクスピアは400年も前だし、福田恆存訳で読んでいるんだけど、そもそも漢字が読めない(笑)。それがちょっとキツくて、あまりやる気もなかったんだけど、依頼があったんですよね。イギリス・グローブ座がロンドン・オリンピックの記念事業として、海外からも作品を招聘してシェイクスピアを上演すると。それはちょっと断れないでしょう(笑)。だから作品も先方の指定で『コリオレイナス』。僕としてはだから、宿題をやるみたいな感じもあったんだよね。 ――杉原さんは「KUNIO」の10周年に初シェイクスピアをぶつけた、と。しかも、1年近くワークショップなどを重ねるつくり方をしているそうですね。 杉原:自分で盛り上げていこうと思いまして(笑)。内外で色々お仕事させていただく中で、だいたい1、2ヶ月で一作品仕上げるサイクルができてくるじゃないですか? でも、大学で太田省吾さんの指導を受けていたとき、「時間をかけられるときに時間をかけて創作しておかないと、アーティストとしてダメになる」と言われていて。なかなか時間をかけた創作ができなくなっていると感じていたことと、一昨年太田さんの『更地』を「KUNIO」の10作品目として演出したことで、何かが一巡したというか、改めて太田さんの言葉に向き合おうと思えたんです。だから、記念にかこつけて、こういう面倒なことをしようと思い立ったんです。 ――稽古に時間をかけるだけでなく、今回、新訳もつくられているとか。 杉原:ええ、翻訳劇は僕も何作か演出しましたが、訳文は演出にも非常に大きく影響するものなので、時間をかけるなら訳から見直したいと思っていたんです。京都大学でシェイクスピアの劇作術研究をしている桑山智成さんに参加していただけたんですが、詩的なリズムを活かしながら、いかに現代の日本語として“聴かせる”言葉にするか、いろんなやりとりをしながらつくっていきました。桑山さんは戯曲を、「上演を前提にした文章」として捉え、研究している方。そういう研究者としての思考を伺うのも、興味深い経験でした。 三浦直:僕はこれまで、自作戯曲しか扱ってこなかったので、他者の言葉を扱うこと自体、今回が初めての経験なんです。ただ、去年ぐらいから「せりふが書けない、ヤバイ……」と思う瞬間があって、だったら他者の言葉を自分の中に取り入れてみるのも良い刺激になるんじゃないかと、この企画に飛びついたところはあった。400年前の人の言葉と、どういう繋がりを持てるのかは、興味の大きなところではあります。 杉原:自分でテキストに大きく手を加えたりするの? 三浦直:ガンガンやる予定です。シェイクスピアのテキストも使うし、それをベースに僕自身が書き下ろしたテキストも絡めて行こうかな、と。シェイクスピアと僕と、両方から時代を越えて行き来できたらいいな、と思っています。 ――現段階では原作と、ロミオとジュリエットの関係性に類似した古今東西の恋人たちの物語のコラージュ、そして三浦さんオリジナルという三部構成をお考えなんですよね。 三浦直:できるかどうか、まだまったく見通しは立っていませんが(笑)。僕らの世代はよく「社会と接続していない」と言われる。僕はこれまで「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語だけを作ってきましたが、いわゆる“セカイ系”と言われるような、「『僕と君』だけの関係がそのまま世界に直結する」みたいな構造が好きなんですよね。でも『ロミオとジュリエット』にはそこに「家」の問題が介在して、大きく影響を及ぼす。そこが、僕が今までやってこなかった表現への突破口になるんじゃないか、と思っているんです。 三浦基:それは良い着眼だと思う。『ロミオとジュリエット』の本質は、世界を全く知らないような中学生くらいの子どもたちが盲目的に愛し合い、でもちょっと冷静になってみると、家同士の争いが視野に入って来るというギャップ、そこが面白いわけで。あとは有名なバルコニーの場面でジュリエットが「ロミオって誰? 私は誰?」と、自分と自分を規定する家や名前に対して疑いを持つところ。あそこは、400年前の作品としては画期的に新しい視点だよね。ナイーヴに引きこもっていた若い男女が、突然強く愛し合う。次第に大人たちも「大変なことになっている」と気づく。その距離感とか関係性を現代の、三浦君の切り口と言葉で書いたものなら、僕は観たいと思うな。 |
――『コリオレイナス』には、「地点」初の音楽劇というトピックもありましたが、基さんは何を足がかりに構成を考えられたのでしょう。 三浦基:さっき杉原君の話にも出たけれど、シェイクスピアは王立劇団の座付き作家だから、当たり前だけれど上演を前提に戯曲を編んでいる。『コリオレイナス』自体は僕はあまり面白くなかったんだけど(笑)、そこには共感が持てたんですよ。たとえばあるシーンで、ちょっとしか出てこない登場人物が、かなり良い感じのことを言う。「ははぁ、これは他の作品で人気の出ている俳優を愛嬌で出してるな」と想像させるような、作品の世界観の裏側に劇団、役者集団の存在が感じられて、随分やりやすくなりました。そこから、『コリオレイナス』を原作どおりにやるには20〜30人の俳優が必要になるけれど、タイトル・ロールのコリオレイナスのせりふだけを抽出し、それ以外の登場人物はコロスとして考えるやり方になっていった。そもそも『ハムレット』や『ロミオとジュリエット』に比べるとドラマツルギーが弱い、ただのマッチョな軍人の話ですからね(笑)。そのくらい料理して、ようやく観られるものになると思ったんですよ。 ――そんな戯曲の構造上の弱点を補完するために、音楽を使おうと? 三浦基:まぁ、そういうことにしておきましょうか(笑)。というか、野外のグローブ座での上演だったので、音でも入れないともたないな、と思ったんです。音楽家の桜井圭介さんはミニマリストというか、僕の演出もよく理解してくださっているので、絶対に場面を盛り上げるような安易な音楽は入れて来ないと思っていたし、戯曲と桜井さんたちの生音、俳優たちの声と身体を重ねていく作業は楽しかったですよ。 杉原:京都での日本初演は、舞台前にスタンディングのスペースを作りましたよね? 三浦基:あれもグローブ座を模したもの。グローブ座にはヤード席という400人くらい入れる立ち見スペースがあって、1000円くらいで芝居が観られる。立っている観客はテンションが違うというか、興奮せざるを得ないもののようで、京都でも立ち見客の存在がすごく作品を盛り上げてくれたのは、面白い経験でしたね。 |
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――話が戻りますが、杉原さんが『ハムレット』を選んだ理由は? 杉原:僕は、自分でも観たことがある作品をやりたくなる傾向があるんですが、考えてみたらシェイクスピアで一番数多く観ているのは『ハムレット』だったんです。しかも、一度も感動したことがなくて(笑)。どの舞台のときにも「『ハムレット』をどう演出するか」に、つくり手も観る側も重点が置かれている感じで、解釈や手法にばかり目が行っている。それなりに面白いし、ドラマとしても優れているけれど何故か感動はできない。それは何故なのか考えつつ、感動できる『ハムレット』が作れたらと思っていて。だから戯曲も、観客にドラマに集中してもらえるよう「Q1」という最も短いバージョンを選んだんです。 ――悲劇という認知の今作に、「祝祭詩劇」という冠をつけたことも意味深ですが。 杉原:まず翻訳の桑山さんが「シェイクスピア劇が当時どう上演されていたのか」を出発点に言葉を考えていて、英語のリズムそのままには訳せないけれど、できるだけリズムを生かして訳そうというスタンスなんです。言葉を削ぎ落としながら、一語に含ませる意味を豊かに、詩的にしていく。だから、普段木ノ下歌舞伎でやっているような、思い切った現代口語訳ではなく、戯曲の言葉に忠実な台本になると思います。 三浦直:「どう演出するか、どういうバージョンで見せるか」というのは、既成戯曲を手掛けるときの最初の壁だと思うんですが、僕は今回が初めて他者の戯曲を演出するので、“有名戯曲の俺バージョン”を見せることというか、連綿と上演されて来た『ロミオとジュリエット』の一バージョンになってしまうことがすごく嫌なんですよ。まだつくってもいないのに、なんですけど(苦笑)。だったら、色々なバリエーションを作品の中に取り込んじゃえ、ということで、既成の戯曲の中に見える“ロミジュリの変奏”を第二部でコラージュしてしまおうと考えたんです。僕の脳みそで考えたものではないバリエーションを並べて、バージョン違いになることを回避しようというか。 三浦基:設定の国や時代を変えるなど、演出の手練手管を並べるだけなら簡単で、そういうことに取り込まれるのが嫌だってことでしょ? アクチュアルな社会問題に演劇を、シェイクスピアを置き換えるなんてことはハイナー・ミュラーが『ハムレット・マシーン』でやったことに尽きるし。 ――とはいえ、東京へは初お目見えですし、劇場の構造も違うので再創造になるのでは? 三浦基:キャストが増えるのと、舞台を張り出すとか柱を立てるとかいったことはしますが、演出的に大きく変わることはないですよ。ただ、地点の他の作品に比べると観客にとって観やすい作品だとは思う。さっき杉原君が祝祭性について言っていたけれど、『コリオレイナス』も「シェイクスピアが書いた最後の悲劇」と言われている、非常に悲劇性の強い作品。でも僕は、コメディタッチの演出を施した。それはシェイクスピアという作家の資質、戯曲の持つエンターテインメント性の高さを尊重し、なおかつ拡大解釈した結果なんです。普段地点を観ても何も言わない人が評価してくださったりもしたので、地点入門編としてはお勧めできると思ってます。作品がマイナーなのも得だったんだよね。『コリオレイナス』観たことないでしょ? 杉原:蜷川幸雄さんが演出したときの、一回だけですね。 三浦直:僕は観てないです。 三浦基:という具合に敵がいないから(笑)。だから、万が一、次に自分でシェイクスピアを演出するとしたら『ハムレット』や『ロミオとジュリエット』くらい有名なものをやらないと意味がないでしょうね。多分やらないけど(笑)。シェイクスピアって、演劇のゲームなんだと思うな。悪い意味でね。だから、ゲームじゃないところまで行かないとやっちゃいけないんだよね、本当は。そういう意味では今の僕には次のシェイクスピアはまだそう簡単にはできない。 杉原:確かにマイナーな戯曲は、観られただけで観客が満足しちゃうところはありますしね。 三浦直:でも、お二人の深いお話を聞いていて、僕はこの不勉強で何も知らないままで行くしかないと、ちょっと開き直れた感じがします(笑)。 杉原:それでオッケーでしょ。あと僕の作品は、ミラーボールが回ったり金の紙ふぶきが散ったりしがちですが、そういう分かりやすいパーティー・アイテムは今回一切封印するつもりです! そのうえでの「祝祭」を追求してみよう、というのが31歳の大人としての挑戦かな、と(笑)。 ――お三方それぞれの挑戦と創作の成果、楽しみにしています。 |
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INFORMATION |
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2014年8月1日(金曜)〜3日(日曜) 若き情熱と苦悩のエネルギーがいま、一国の運命を変えていく─。 駆け抜ける人生MAX!!祝祭詩劇『ハムレット』。
2014年8月28日(木曜)〜31日(日曜) ロンドンから東京へ。 シェイクスピアの殿堂を沸かせた地点の『コリオレイナス』がついに東京初お目見え! |