劇中では創作の現場の混乱や大変さが、笑いを交えて描かれますが、鄭さんのの実体験がかなり含まれているんでしょうか?
鄭:確かに大変じゃない芝居づくりなんて、どこにもありませんからね。でもこの作品の場合、演劇での経験より、芝居で食えない頃に松竹大船撮影所で美術助手をやっていた、当時の経験や聞いた話がベースになってます。当時は寅さんシリーズもあったし、まだ撮影所を潰すなんて話も全然なくて、結構のんびり大らかに働いてたんですけど、それでも修羅場はあるもので。
剣:舞台と映像では大変さが違いますよね。舞台は時間がタイトでも、キャストからスタッフまでが毎日同じ場所に集まって顔を合わせ、緻密に作って行けると思うんです。でも映像の現場は規模がぐっと大きくなるし、何かトラブルがあっても、それが誰のどこに由来するのかも把握できないみたいなところがあって。良いものをつくるためのぶつかり合いが、時に起こることは同じだと思いますが。
鄭:舞台は幕が上がれば俳優のもの。でも映画はやはり、撮影現場中心で、最終的には監督のものと僕には思えるんです。時には100人くらいのスタッフが、現場で一斉に動いたりするわけで、そこで生まれるエネルギーは莫大なものだし、同時にしっかり引っ張る監督やプロデューサーがいないと成立しない現場でもある。トラブルの規模も違うし、その大勢に一斉に同じ方向を向かせるのは至難の業でしょう。
剣:ええ、やはり少人数で顔寄せ合って創っている舞台のほうがのんびりしているし、「言わなくてもわかる」みたいな通じ合い方をしていきますものね。
鄭:僕ね、芝居は特にそうなんですけど、作っている仲間が少しずつ家族みたいになっていくでしょ。それがすごくうれしいんです。僕は劇作家としても演出家としても、その時々の役者さんを愛そうと努めていて、だからこそ長く一緒に現場にいると、段々切なくなって来る。「あぁ、もうじきお別れだ」とか思って。クドイといわれながらも、楽日までダメ出しし続けるのは、寂しさを紛らすためもあったりして(笑)。
この本には、そういう思いが一杯詰まっているんです。先が見えなくてドキドキハラハラしたり、いがみ合って喧嘩になったり、元気のない人を心配したりしながら、作品を作り上げるために全員がひとつに、家族のようになっていく。だから最後に彼ら全員の想いがひとつになって、「見えないはずのものを見る」というのがこの作品の核心だと思っているんです。
剣:ええ、すごく素敵なラストですよね。鄭さんの作品に登場する人たちは、誰もが「実のある人」。衣裳や型では決して作れない、生身の人間がそこにいるから作品が魅力的だし、私自身そういう役を演じられる女優になりたいとずっと願ってきましたから。
鄭:剣さんが出て下さることで、『モスラ〜』はまた新しい家族になれると思うんです。内藤さんというお父さんがしっかりいるし、今度もきっと面白くなりますよ。 |